1.4 心という塗り絵に潜む動機と合理性
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有名な進化社会心理学者
研究上の興味
親密な関係
人々の相互作用
動機と目標設定
最近では彼はヒトの意思決定の合理性についての研究に集中している
伝統的な経済学における合理性の理論は、ミクロ経済学における数多くの現象の説明に有用であるが、人々の日常的な意思決定に対しては十分な説明力を持たない なぜあるものは他のものよりも人々を満足させることができるのか
なぜ人々は他者を満足させるためにひたすらコストを支払うのか
これらの疑問に対して、ケンリックは伝統的な経済学のツールとともに生み出した研究成果を用いることによって、意思決定がその深層においては合理的であることを支持する根拠を提供している
様々な好みを持つ人間の間で共通して価値を置かれていることの効用の根元を探ることで、より良い理解に到達することが期待できる
生物学において、適応度は個体が遺伝子を次の世代に伝達する能力を指し、また進化生物学においては、すべての個体がこのメカニズムに突き動かされ、最終的に自らの適応度が最大化されることを目指すべく意思決定している
そのため、人間が日常生活において下す決定も恣意的なものではなく、進化的なゴールと深く関わりを持っている
本節でケンリックは実証的な方法を通して、自分が進化心理学研究を通して得た三つの教訓について述べている
人間の心は真っ白な石版でもなければ、すべて刻みこまれ済みの設計図でもない、輪郭を持つもののまだ色が塗られていない塗り絵帳のようなものである
どの人の心の中にも、様々な課題を解決するために複数の自我が存在している
複数の自我のそれぞれは情報の処理の仕方に偏りがある。ただしこれらの偏りはランダムでも非合理的でもなく、より深遠なる機能的合理性を反映している
心は真っ白な石版ではなく、“ぬり絵帳“
“Behavioral and Brain Sciences”に発表した論文(Kenrick & Keefe, 1992)で、私達は世界のどこでも男性は繁殖能力のピークにある年齢の女性を配偶者として選り好むという証拠を示した 男性は心理学者達がそれまで考えていたように単に若い女性に魅力を感じるのではなく、繁殖能力のピークにある女性に魅力を感じる
閉経は文化によらずヒトに共通する特徴であるため、あらゆる社会において年長の男性は自分より若い女性に惹かれる一方で、非常に若い男性は自分よりやや年上の女性に惹かれるのが進化的に考えて理にかなっている
現代や過去の様々な社会のデータによってこの主張は裏付けられた
1920年代のポロという離島では、年長の男性は若い女性と結婚する傾向があり、その傾向はアメリカ、ヨーロッパ、東インドの人々と同様だった
私達の論文に寄せられた複数の人類学者のコメントから他の社会においてもこれを支持するデータがある示された
この発見は「心は真っ白な石版である」とする伝統的な社会科学の前提に対して疑問を投げかける研究の一つとなった
北オーストラリアのティウィ族のデータはこの結論に疑義を呈するように思われた さらにティウィ族は「若い男性が閉経後の女性と結婚する社会で、いかにして人口は維持されるのか」という他の生物学的な問題も提起した
詳細な調査の結果、ティウィ族の男性は他の社会の男性と同様、若い女性に強く惹かれることがわかった
実際には年長の権力者が若い女性を独占していた
「ティウィ族のすべての女性は結婚すべし」という厳格なしきたりが存在する
そのため女の子は生まれるとすぐに年長の男性と婚約させられる
この社会は一夫多妻制で、年長の権力者は自らの娘達を他の家父長のところに嫁がせる
提供できる娘がいない若い男性は、若い配偶者を得ることができない
もし若い男性が家父長の若い妻と関係を持った場合には、投げやりで刺される、村八分にされるなど、死刑に相当するような厳罰が待っている
夫が死ねば年長の未亡人はすぐに再婚する必要がある
年長の権力者はしきたりをたくさんの若い妻を得ることに利用しているので、年長の女性と結婚しようとはしない
若い男性は未亡人と結婚することで、その未亡人の親族と婚戚関係を結ぶことができる
その若い男性は年上の妻の娘達が若くして未亡人となった時、その新たな夫を選ぶ権利が得られる
つまり、未亡人と結婚することによって初めて、若い男性は若い妻を得る駆け引きに参加できる
このティウィ族の例は進化してきた心理メカニズムとローカルな社会的要因が組み合わさることで、新たな社会規範が形成される動的な相互作用の一例
塗り絵帳をどのように塗るかには無限の可能性があるが、真っ白な石版のようになんでも受容するわけではない
塗り絵には輪郭があり、どの色で塗るかを強く示唆している
しかし、線で囲まれた白い空白には予期せぬ事態が起こる余地が残されている
塗り絵帳という比喩を用いるもう一つの利点は、塗り絵帳にはたくさんのページがある点
それぞれのページには様々な輪郭線があり、色々な塗り方が可能
このことは、以下の二つ目のポイントにつながる
心は、ゆるく分離した自我の集合体
行動主義は動機づけに関してもシンプルな見方をしていた ヒトはごく少数のシンプルな原初的衝動を持って生まれ、それらの衝動からより社会的な動機付けも形成されるという見方 例えば、子供が親和性を感じるのは、母親が原初的衝動である飢えや渇きを満たしてくれるからだと考える
この見方では、親和欲求という新たな欲求を仮定する必要はない
多くの知見が行動主義の中でもシンプルなこのような考え方に対して疑問を呈しました
一つの例として、古典的条件づけのような単純なプロセスさえも、何を学習するかによって結果が異なる
また、学習プロセスは種によって異なり、その違いは進化的な意味を持っている
このような比較認知科学と認知神経科学の知見の統合により、ヒトは繰り返し直面する様々な課題に対処するために様々な認知プロセスを使用している、という現代の進化的な視点が生まれた
例えば、自己防衛的心理が活性化された実験参加者は、外集団の男性(身体的脅威をもたらしやすいと考えられる)の中立的表情を「怒りを隠している」と解釈する傾向があった
一方で、配偶者を獲得する心理が活性化された男性の実験参加者は、異性から見て魅力的な人物の中立的表情を「性的な関心をほのめかしている」と解釈する傾向があった(この傾向は女性参加者では見られなかった: Maner et al., 2005)
さらにこのような動機づけは、他の社会行動にも影響することがわかった
例えば、配偶者を獲得する心理が活性化された実験参加者は、集団の意思決定とは距離を置いたり、自らの創造性の高さを誇示したり、人目を引くような消費行動をとったりする傾向にあった(Griskevicius, Cialdini, & Kenrick, 2006; Griskevicius, Goldstein, Mortensen, Cialdini, & Kenrick, 2006; Sundie, Kenrick, Griskevicius, Tybur, Vohs, & Beal, 2011) これらの知見は全て、親の投資や性淘汰といった生物学的原理に基づいた一般的な予測と一致している
十分な知識を持つ意思決定主体という古典的な合理的人間観に対抗すべく、行動経済学者は、人間が単純で非合理的なバイアスを持っていることを示した認知心理学や社会心理学の知見を取り入れてきた ヒトは100ドル得るよりも100ドル失うことに対して強い心理的な動揺を感じる
進化的な視点から見ると、表面的には非合理的に見えることも、より詳細に検討すれば、深いところでは合理的なことがある
ヒトの心は大量の情報を高速処理するコンピュータではなく小さな心の集合体として理解した方がよい、というのが進化心理学の中心的なメッセージ
小さな心の集合体とは、異なる種類の情報を異なるプロセスで処理することによって特定の適応課題を解決するようにデザインされた、独立した心の集合体
心の集合体という進化的な視点から、日常の経済活動での意思決定を考えることの意義は、まだまだ十分に研究されていない
しかし、買い物で赤の他人と価格交渉をするときの意思決定ルールと、遺伝子を半分共有している自らの子供と資源を交換するときの決定ルールが、同じ計算に従ってはいないことを示す証拠なら山ほどある
赤の他人と近親者に対する決定ルールの他にも、(遺伝子の共有ではなく信頼に基づく互恵的関係でつながっている)友人との関係における意思決定バイアスもヒトは使用している
ヒトは、「人目を引くように散財するか」「博愛精神や面倒見の良さをひけらかすか」「ケンカの危険を冒すか」「集団の意見に反抗するか」などの意思決定をするとき、そのヒトの性別やそのヒトの精神状態(配偶相手を探すモードか、社会的地位を求めるモードか、自らの命を守ろうとするモードか)によって決定の仕方を変化させ、それらは予測可能私がこれまでに紹介してきた研究プログラムを通じてわかってきている(e.g., Griskevicius, Tybur, Sundie, Cialdini, Miller, & Kenrick, 2007; Griskevicius, Tybur, Gangestad, Perea, Shapiro, & Kenrick, 2009) 友人との食事や、恋人との休暇、かっこいい車といった様々な望ましい事情の心理的価値を比較するために「効用」という共通の通貨を用いることは経済学者にとって非常に便利だった
しかし心をモジュールとして考える視点からすると、関係性や適応課題の違いに応じて、異なるタイプの効用について考えることが重要となる
意思決定が性別やライフステージによって異なるのに加え、個々の意思決定主体には様々な経済的な自我が存在し、そのときの環境においてどのような脅威や機会が重要なのかによって、どの自我が表に出るかも変わる
配偶や自己防衛などの根本的な生物学的動機づけは、時間割引(未来の大きい利益より今の小さい利益に価値を置く傾向)や確率価値割引(不確実な大きい利益より確実な小さい利益を好む傾向)といった、行動経済学での古典的なバイアスを大きく変える可能性があるというのが、私たちが「深い合理性(Deep Rationality)」理論で主張していること 同様の生物学的動機づけはヒトが何を贅沢品だとみなし、何を必需品だとみなすかについての判断も変化させ、また変化の仕方は、性別によって大きく異なるだろう
損失回避という古典的なケースを考える
このような考えは、過去についての適応論的な仮説の一つにはなるが、現代の進化的アプローチの科学的な強みを十分に発揮できてはいない
現代の進化的アプローチでは、適応論的に重要な動機に応じて、いつ、どのように、損失回避傾向が変化するのかについての具体的で新しい仮説を構築することができる
例えば、普通の損失回避に対する選好は、配偶者を探す動機が活性化されていると、消えてしまったり、逆転さえするだろう
さらにこのような消失は女性では生じず、男性だけで生じるだろう
進化生物学者が示してきたように、ヒトを含めた哺乳類のメスは子供にかける最低投資量が本質的に大きいため、配偶者を選ぶ際、(男性に比べ)相対的により強く選り好みをする
その結果、オスはメスに選んでもらうために競争を強いられる
競争に勝つためにはリスクを取ることも必要で、実際に哺乳類のオスは交尾期になると特にリスクを取るようになる
この考えに従えば、配偶者を探すようにプライミングされた男性は、発情期のオオツノヒツジのような行動を取るはず
過剰な損失回避傾向は、他のオスに打ち勝つために必要なリスクの高い競争をする上では邪魔でしかない
この論理が正しければ標準的なカーネマンとトベルスキーの損失回避傾向は、配偶者を探そうとする動機づけのもとでは、男性のみにおいて、予測可能な変化をするだろうと考えられる
現在進行中の実験でこの仮説を支持する証拠を得ている
結論
ヒトの脳にはたくさんの単純で自己中心的な意思決定のバイアスが備わっていると言える
それらのバイアスはある特定の状況おいて個人が直面している課題や機会に応じて、スイッチが入ったり切れたりする
それらの単純な意思決定ルールは、利己的な目的のために役立つものだが、必ずしも自己中心的な行動に駆り立てるわけではない(Kenrick, 2011) むしろ、個々の頭の中にあるルールは、他者と円滑にやっていけるように非常にうまく調整されている
さらに言えば、これらのローカルルールは、身近な人々だけでなく、ウォール街にいる株の仲買人や、地球の裏側にいる赤の他人と自分とをつなげる社会的ネットワークにも入り込んでいる
単純なローカルルールから、社会の複雑性がいかにして生じるのかを理解するためには、進化心理学、認知科学、そして複雑性科学の知見を統合していくことが、次の世代の研究者には求められる